2009年11月06日
『ド根性!!ガエル』
随分前の話だが、NHK BSの『BSアニメ夜話』で現代美術家の村上隆が『ド根性!!ガエル』を絶賛しているのをみて思ったが、この『ド根性!!ガエル』は、世界的なアーティストにも影響を及ぼした程、当時の少年達に多大なインパクトを与えた作品だったなあと思った。
吉沢やすみ原作の『ド根性!!ガエル』は1972年から2年間放送されたTVアニメで、主人公のひろしと、彼がカエルの上に転んだ時にシャツに張り付いた平面ガエルのピョン吉が主人公の”正しい少年まんが”だ。
この設定だけでも涙ものだが、脇役の南先生、寿司屋の梅さん、ゴリライモ、京子ちゃん、五郎、よしこ先生、町田先生と脇役のキャラクターが多彩でドタバタあり、人情あり、奇想天外が壮大なエピソードありと、語りだしたら一晩では語り尽くせないくらい深いアニメだった。
村上隆が今もなお、熱く語るのはとても判る。『ド根性!!ガエル』は彼の、そして僕の青春というか少年時代そのものだからだ。
2年間放送の中で特に印象に残っているのは、ひろしとピョン吉の出会いの切っ掛けとなった広場の石を拾いに行ったら実はとてつもなく巨大な石だったという話とか、ピョン吉が洗濯機で洗っても目が回らないように訓練のため船のスクリューに貼付けたら、そのまま船が遠い外国に行ってしまって、いつも喧嘩ばかりしていたひろしはひどく後悔するがピョン吉がど根性で船を引っ張って、荒川(?)から戻ってくる話とか、いつものドタバタ人情劇とは違うテイストの壮大な話が好きだった。
でも、一番影響を受けたのは、ひろしとピョン吉が寿司屋の梅さんに「すし食いねぇ」とか言われて、実に旨そうに寿司をたべているの見て、寿司好きになったことだ。
あと、『BSアニメ夜話』でも語られていたが、缶蹴りのカンのエピソードとか、夏休みの昆虫採集でセミ一匹すら見つからない荒涼感だとか、ただの少年マンガのアニメにはない要素があったと思う。
その後、80年代に入って『新・ド根性!!ガエル』っていうのが始まったけど、あれはダメな作品だった。何がダメってピョン吉が全然根性がなかったのと、そもそも作品の内容と時代の微妙なギャップに違和感があった。
ちびまる子みたいに、完全に時代がズレていれば、別の面白さもあっただろうが、あれは失敗作だったね。
吉沢やすみ原作の『ド根性!!ガエル』は1972年から2年間放送されたTVアニメで、主人公のひろしと、彼がカエルの上に転んだ時にシャツに張り付いた平面ガエルのピョン吉が主人公の”正しい少年まんが”だ。
この設定だけでも涙ものだが、脇役の南先生、寿司屋の梅さん、ゴリライモ、京子ちゃん、五郎、よしこ先生、町田先生と脇役のキャラクターが多彩でドタバタあり、人情あり、奇想天外が壮大なエピソードありと、語りだしたら一晩では語り尽くせないくらい深いアニメだった。
村上隆が今もなお、熱く語るのはとても判る。『ド根性!!ガエル』は彼の、そして僕の青春というか少年時代そのものだからだ。
2年間放送の中で特に印象に残っているのは、ひろしとピョン吉の出会いの切っ掛けとなった広場の石を拾いに行ったら実はとてつもなく巨大な石だったという話とか、ピョン吉が洗濯機で洗っても目が回らないように訓練のため船のスクリューに貼付けたら、そのまま船が遠い外国に行ってしまって、いつも喧嘩ばかりしていたひろしはひどく後悔するがピョン吉がど根性で船を引っ張って、荒川(?)から戻ってくる話とか、いつものドタバタ人情劇とは違うテイストの壮大な話が好きだった。
でも、一番影響を受けたのは、ひろしとピョン吉が寿司屋の梅さんに「すし食いねぇ」とか言われて、実に旨そうに寿司をたべているの見て、寿司好きになったことだ。
あと、『BSアニメ夜話』でも語られていたが、缶蹴りのカンのエピソードとか、夏休みの昆虫採集でセミ一匹すら見つからない荒涼感だとか、ただの少年マンガのアニメにはない要素があったと思う。
その後、80年代に入って『新・ド根性!!ガエル』っていうのが始まったけど、あれはダメな作品だった。何がダメってピョン吉が全然根性がなかったのと、そもそも作品の内容と時代の微妙なギャップに違和感があった。
ちびまる子みたいに、完全に時代がズレていれば、別の面白さもあっただろうが、あれは失敗作だったね。